遠州七不思議
片葉の葦
武蔵の国大里郡の熊谷直実(くまがいなおざね)は、鎌倉初期の武将として名高いが、かの有名な一の谷の戦に、退く平家の公達を呼び戻し、組み合の末、首かき切ってみると、我が子と同年ほどのうら若い武将、平敦盛でした。箙(えびら)には昨夜平家の陣中から聞こえてきた笛(青葉の笛)が差されており、世の無常を感じるところとなりました。数年後の建久三年、所領論争に久下直光に敗れたのを契機に出家を決意し、京都の源空(法然上人)の弟子となり、蓮生坊(れんじょうぼう)と号したことは世に知られるところです。
この熊谷直実が法然ゆかりの当院を訪れた時、法然上人から授けられた「袈裟」を松の枝(袈裟掛けの松)に掛け、下の小池で手を清めました。この時、袈裟に触れた葦が、念仏の功徳に感じて片葉が伸びなくなったと言われています。また、一説には、繋いでおいた直実の馬が片側の葉を食べてから、片葉の葦になったとも言われています。
この熊谷直実が法然ゆかりの当院を訪れた時、法然上人から授けられた「袈裟」を松の枝(袈裟掛けの松)に掛け、下の小池で手を清めました。この時、袈裟に触れた葦が、念仏の功徳に感じて片葉が伸びなくなったと言われています。また、一説には、繋いでおいた直実の馬が片側の葉を食べてから、片葉の葦になったとも言われています。